
日時:2011年12月17日(土) 15:00~16:45
場所:東京オフィス
参加人数:11名
今回は東京オフィスでの開催であり、農経同窓生でもある所長の高澤さんの協力もあり、準備等がスムーズに行えたと思う。
研究会はほぼ時間通り始まり、杉村先生より「卸売市場と食料流通の新しい動向」というテーマで約1時間半の講演があった。質疑等も活発に行われ、有意義な時間であった。規模拡大にこだわるのではなく、小さいながらも地域に根付いた親しみのあるもので生き残っていくということも重要ではないか、との意見があった。

講演会終了後にはその場で懇親会が開かれ、途中参加者1名を含め、12名が参加した。料理とグラス、その他酒類をそれぞれ同じビル内のお店に手配していた。参加者の手伝いもあり、すぐに懇親会を始めることができた。

順番に自己紹介をし、それぞれの近況等を話された。その後和気藹々とした雰囲気のまま、20時ごろ終了した。
(文責 品川 晴香)

13時30分より開会式を行い、主催者挨拶を岸田隆志別海高校長、緑風会からの挨拶を副会長西田丈夫標茶高校長、大学代表挨拶を干場信司農食学群長が行った。
研修1として、各参加高校より15分程度の高校の現況紹介。
1)北海道美幌高等学校 湯浅友喜教諭より本年度より美幌高校と旧美幌農業高校が合併して新設校「北海道美幌高等学校」が旧農高敷地で開校した。生徒総数は401名で1年生は普通科2間口、農業科は「生産環境科学科」「地域資源応用科」の2科。普通科との合併により部活動の活性化と進路指導が強化された。

2)北海道音更高等学校 根本有治教諭より「定時制農業科」1間口、「全日制普通科」4間口での教育運営を報告。10年前から旧牧草地を森にして環境教育を実施。地域住民への森づくりの解放講座。「花の音更高校」から「花と森の音更高校」へとキャッチコピーを転換。
3)北海道士幌高等学校 山田智絵教諭より農産加工専攻斑の取組について報告。主な活動は「パン製造」と「アロニア製菓製造」。昨日製造したパン2種類を研修会参加者に試食させ、高校産のコムギ「春よ恋」について評価を行った。高校産小麦の製パン性について専門機関に分析依頼を行い、今後の可能性を検討中。
4)北海道別海高等学校 平岡賢一教諭より「地域ぐるみの教育を目指した新しい学校づくりの推進」と題して平成19年より取り組んできたコミュニテイ・スクール(学校運営協議会制度)を取り上げ、その構成や主な活動内容について紹介した。設置されている部会として、学習部会、生活部会、進路部会、健康教育部会、農業教育部会で、メンバーに医師やPTAのOB、JA、町、教育長等多彩なメンバーで構成されており、ユニークな取組として紹介された。

5)北海道標茶高等学校からはPPTを利用して、高校における教育実践活動について幅広く紹介した。高校は現在、8学級245名。学校のテーマが「きっとあえる 君のイイ顔!!」
活動実践として平成22年より「花フェスタ」に出場。今年は準大賞を受賞。ロボット搾乳機を平成21年度に導入し、近代的な酪農経営を展開している。
6)北海道中標津高等学校 杉田慎二教諭より根室農業の状況、高校の現況について報告が行われた。 現在食品ビジネス科44名、生産技術科28名の72名。食品ビジネス科にはプロセスコース、マネージメントコース。生産技術科にはデイリーコース、ガーデニングコースを設置。最近の特色ある活動として計根別食育学校の実践、新製品の開発、花を通した交流、環境教育の実践等が報告された。
研修2として、小野寺入試部長より本年よりの学部学科の改組転換に伴う新しい学群学類コースについての概要報告を行った。次に干場農食学群長より父母懇談会での内容から、農食環境学群について紹介した。本学の建学の理念である「健土健民」と学群学類の教育内容の中で担うべき役割、および循環農法図と本学教員の教育研究上の分担、関わりについてわかりやすく紹介した。

林学群長から獣医学群2学類について、獣医保健看護学類の状況と今後の国家資格化の方向性、獣医学類では日本の獣医師の活動状況、本学の卒業生の進路状況、産業動物獣医師育成への本学の取組等を紹介した。その後、質疑応答ののち研修会を終了した。また、5時より会場を変更し研修会参加者による懇親会が開催された。
酪農学園大学第六期酪農学部同期会を、平成23年10月7日(金)から8日(土)の一泊二日で、初めて北海道の中心“へそ”にあたる富良野市で開催しました。
卒業から、42年目、前回同様に多くの同期生が集えるよう農経学科と夫婦での参加等、企画しました。
遠くは、大阪、青森など道外居住者と道内各地から16名の同期生と恩師の原田先生の総勢17名が集いましたが残念ながら農経の参加はありませんが、夫婦での出席は1組ありました。
原田学園長から大学の現状、とりわけ改革の芽が結実しつつあることや、基本理念である“3愛精神”の真髄等のお話がありました。
この後、各自の報告や情報交換、社会状況の話題等、年を忘れて喧々諤々と夜遅くまで続き、次回を平成25年札幌での開催と新幹事4名にて行う事を決定しました。
翌日8日は、秋晴れの中、富良野市内のチーズ工房やワイン工場の見学を行い、昼食後、2年後の再会を約束し別れを惜しみながら無事に終了しました。
末尾ですが、同窓会連合会、酪農学科同窓会より過分なる助成を頂き、秋めく富良野での思い出を綴れた事に厚く感謝と御礼を申し上げます。(文責:富田 啓衙)
この記念事業において、「酪農讃歌歌碑」は、同窓生関係各位および短期大学同窓会・大学同窓会校友会。「インフォメーションボード」は同窓会連合会札幌支部の多大なご寄附・ご協力により建立式を迎えられたことを改めてお知らせし、お礼申し上げます。
記念行事において、谷山弘行学長は「学生、教職員が建学の理念に立ち帰るモニュメントとして活用したい」と挨拶した。また大学同窓会校友会野村武会長は「歌詞にある「窮乏の底に沈める国起こせ」とある本学の使命の重要性」が述べられた。藤井宗教主任の祈祷のあと、除幕式が執り行われた。
その後、参会者全員により歌碑の前で「酪農讃歌」が合唱された。最後に周年事業記念実行委員会小山久一委員長より一連の周年事業が滞りなく終了したことと関係各位へのお礼挨拶が述べられて、記念行事を閉じた。










9月17日(土)あいにくの小雨模様の中、第20回ホームカミングデーが150名を超える出席者により黒澤記念講堂でにて盛会に行われた。同時開催の同期会出席のため、遠くは愛媛、徳島、岡山、東京、宮城等からも多くの同窓生のご参加をいただいた。
学園からは麻田理事長、谷山学長、原田学園長等役員の方々にもご臨席をいただき、貴農同志会の方々には午前中の総会に引き続きご出席いただいた。また獣医学科卒業40周年同窓会出席者は午前中より学内での講演等を含めてご参加いただき、心より感謝申し上げます。
予定通り13時より藤井宗教主任の司式により記念礼拝が執り行われた。讃美歌57番「ガリラヤの風かおる丘で」を全員で合唱し、聖句はコリントの信徒への手紙(二)5章14-15節が朗読された。その後、昨年度お亡くなりになった方々42名のご芳名が一人一人読み上げられ、追悼礼拝が行われた。奨励では藤井宗教主任より「与えられた日々」と題して、病気により義眼となった芸能人「おすぎとピーコ」の「ピーコ」の話を紹介いただき、シャンソンの音色を聴きながら、我々に与えられた日々について考える機会を持つことが出来た。
記念礼拝終了後は、周年事業の一環として8月27日に収録された「酪農讃歌」のフルオーケストラに合わせて全員で種々の思いを胸に合唱した。
記念講演会に先立ち、麻田理事長より学園の現状と今後についてご挨拶を頂戴した。今年の記念講演は2部構成となった。第1部は福祉施設この実寮長 加藤孝氏(短期大学9期1959年度卒)による「障害福祉は今」-障害者と共に泣き笑いの45年-と題した記念講演が行われた。
詳細報告は後日、ホームカミングデー記念講演集を発行いたしますのでここでは割愛いたします。障害福祉に人生をかけてきた加藤さんの人間愛が滲み出る講演内容でした。また障害福祉に関して歴史的経過、今日的な課題についてさまざまな視点から報告された。
また写真のとおり勇壮な育成太鼓をご披露いただき、会場から拍手喝采を浴びた。その後、司会者より周年事業として今年中に黒澤記念講堂正面左右に設置される歌碑と案内ボードの説明がなされた。
第2部の記念講演は、会場を中央館学生ホールに移して行われた。第1部からの出席者に一般市民30余名を加え、「落語 上方滑稽噺話」 落語家 林家卯三郎氏(小川祐之介 獣医学科25期 1993年度卒)が開催された。会場では東日本大震災チャリティの卯三郎グッズの販売も行われた。
上方落語の饒舌な語りと玄人芸で観客を魅了した。出来ればもう少し聞きたい位の心残りであった。更なる飛躍を期待したい。本人言わく「母校での講演に「錦」までいかなくても「綿」ぐらい飾りたい」と当日の新聞にも報道されていましたが、その希望は叶えられたのでしょうか?礼拝から恥じまる一連の第20回ホームカミングデーでは、人の心の温かさとその信念の強さを得る1日となった。関係者の皆様に心よりお礼申し上げます。









10月23日(土)に“昭和42年入学及び昭和46年卒業 酪農学園大学農業経済学科同窓会“を札幌市で開催しました。事情により入学年が別、卒業年が別という人々も4年の間で一時でも席を共にして過ごした仲間として呼びかけを行い、多くの賛同を得て開催することができました。卒業して40年目となる年に、初めは友人との飲み会感覚で始めた企画が20名もの参加となりました。殆どの人が40年ぶりの再会で、名前と顔を一致させるのに戸惑いを感じながらも時間の経過と共に昔の思い出に話が弾み、予定された時間は瞬く間に過ぎ去り閉会となりましたが、2次会、3次会へと流れる人達がいて別れを惜しみながらの同窓会となりました。今回欠席された人の中にも次の開催を期待する声があり、出席した人達も次の開催を約束して40年に1度の集いが締めくくりとなりました。