
はじめまして、千村友輝といいます。去年の3月に酪農学園大学の獣医学部を卒業しました。
今、青年海外協力隊員として中南米のエルサルバドルという国に来ています。これから二年間、この国で地域の活性化や青少年教育の改善等のボランティア活動を行う事になります。
日本の普段の生活ではあまり縁の無い国ですが、こちらでの体験や驚き・感動など、リアルな情報をお伝えて出来たらと思っています。お付き合い、よろしくお願いします。
『エルサルバドルってどんな国?』
日本からアメリカのヒューストンを経由して、飛行機で20時間ほどで中南米のエルサルバドルという国に着く。(わずか一日で、ほとんど地球の裏側まで来る事が出来てしまうのだから凄い。)
国の大きさは、日本の四国と同じくらいの面積。そこに約600万人が住んでいるのだから人口密度はそれなりに高い。日本との時差は-14時間で、日本とは昼夜逆転している。(当たり前か)
中米というと、陽気なラテン系民族のイメージを持つが、エルサルバドルはどこか少し違う印象を受ける。この国は、つい20年ほど前まで内戦が続いていた国だ。
20年前ということなので、僕ぐらいの年齢の人達は皆、内戦を経験していて、話を聞くと死体を飛び越えて逃げたことや、実際に銃を持って戦った経験がある人、肉親や親友を内戦で亡くしたという人の話を多く聞く。町を歩くと、五体満足ではない人達をとても多く見かけるのも、国民の男女比で男性の割合が未だ女性に比べ低いのも(だいぶ回復してきているようだが)、きっと内戦の爪痕が依然、深く強く残っているからなのだろう。
★2012年の1月17日の午後16時に成田を発ち、同日1月17日の夜20時に首都サンサルバドルに着いた。空港から車で30分位の所だ。
時差のマジック。海外に行った時に必ず味わう小さなときめき。日本を飛び出した事を実感する瞬間だ。新しい始まりを実感する。
☆スチトト
エルサルバドルの首都サン サルバドルに着いてから、協力隊のエルサルバドル事務所で治安や健康面での注意点を聞いた後、一か月間の語学研修のために、車で40分くらい北上したところにある「スチトト」という街に移動した。
スチトトとは現地語で“花”と“鳥”という意味らしく、街を歩いていると、多くの家の壁にそのシンボルが描いてある
ここはエルサルバドルの中でも珍しく治安が良く、暗くなる前なら一人で歩いても安全らしい。そのため週末になると他の地域からの観光客や、日本を含めノルウェーやデンマークなどからのボランティア員が語学訓練をする場所としても使っている。それでも夜になると、よく何処かから銃声らしき音が聞こえるが…。それでも僕の知る限り、とてものどかな街でエルサルバドル初級編として体を慣らしていくにはちょうど良さそうだ。
☆不便な生活の中で感じる事
スチトトではホームスティで過ごすのだが、ここでの生活は無い物がとても多く有る。たとえば洗濯機やお湯の出るシャワー。つい二週間前までの日本との生活とはガラッと変わって不便な思いをしている。
ボタン一つで洗濯が出来てしまう洗濯機の有る生活から、一転して洗濯板を使って一着ずつ洗うこちらのやり方に驚いている。使い易い日本の包丁が無いので果物が巧く剥けなかったり、アイスピックでいちいち氷を砕いて使わなければならなかったりと、日本の便利な生活に慣れきっている僕にとっては、不便と感じることがとても多い。
しかし同時に思うことは、洗濯板を使って洗濯することや、切れないナイフを上手に使うこと、アイスピックで氷を砕く経験等、普段なかなかしないこと。これも修行だと前向きにとらえて毎日やっていくと、どこをどうしたらもっと上手く効率良くできるようになるかを考えるようになり、試行錯誤を繰り返しながら、それを楽しんでいる。こんな工夫をこらしながら生活することなんて、便利な日本ではなかったなぁと思い、そう考えると発見や気付きも多い。
不便の中だからこそ感じることができる「工夫する心」をこれからの生活の中で大切にしていきたいと思っている。
☆ホストファミリー
一か月間スチトトの町の民家にホームスティをさせてもらう。
家族はホストMotherのホセフィーナさん(69歳)とその息子のエックトルさん(45歳)。とても親切な人たちだ。他に、今は家にはいないが、次男のウィリアンさん、長女のエイミーさんもいるらしい。
☆密入国について
次男のウィリアムさんは今アメリカのメキシコ料理のレストランで働いているとのこと。エルサルバドルには仕事が少ないため陸路で(徒歩で)メキシコを抜けて、危険を冒してでもアメリカに密入国する人が沢山いるらしい。
スチトトで仲良くなった人の妹も、仕事を求めて一人国境を越えるために先月に家を出たそうだ。まだ連絡がつかないから心配していると言っていた。
聞いた話だが、アメリカ南部にはエルサルバドルからの移民が200万人もいるらしい。エルサルバドル国民の総人口が約600万人なので、国民のほぼ3分の1が移住していることになり、その多くが仕事を求めた不法入国だと言っていたので本当だったらとても驚きだ。それだけエルサルバドルには雇用が不足しているということなのだろう。
☆宗教と家庭について
長女のエイミーさんは15歳の時に長男を産んだそうで、こちらの国ではacompañados(アコンパニャードス)っていう言葉があって、結婚はしていないけど同棲しているような関係がとても多いみたいだ。
避妊に対しての意識が低いため、未婚のまま子供ができてしまうことが多く、若い年齢での出産がとても多い。また、国民の大多数がカトリック教徒で、宗教上人工中絶が禁止されており、それに加えて、若い父親が別の女性を作って家を出て行ってしまうケースも多く、そのため片親(母親)の子持ち家庭がとても多い。さらにカトリックでは離婚も禁止されているので、離婚はしていないが旦那はもう10年前に出て行って、今は新しいパートナーと一緒に暮らしているという人もいる。大変ややこしい。
地球の反対側の全く想像のつかない国でも、やっぱり温かい心を持った人たちが沢山いて、笑ったり泣いたりしながら家族や友達などを大切にして、つつましく生活をしている。当たり前の事かもしれないが、そんな当たり前な風景を見ると、何となく安心するし嬉しくなる。
まだ先は長いので、今回の報告はここまでです。
2011年度酪進会開催報告
2011年度酪進会定例会(酪農学科 家畜管理・行動学研究室同窓会)を2012年2月18日(土)、札幌にて開催しました。西埜先生は残念ながら御欠席でしたが、干場先生・森田先生・道内OBに加え、49期となる卒業年度のゼミ学生を迎えて総勢約30名の出席でした。なお、短大に関しては今年度が最後の卒業生となります。
今年度の研究室の活動報告が干場先生と森田先生からなされた後、日頃の研究成果の報告を兼ねた研修会として、大学院生から発表を行いました。内容は『搾乳関連排水の実態と処理方法選択時のポイント』、『放し飼い牛舎における飼槽上残存飼料の形状変化に関する研究』、『十勝地方鹿追町酪農の多面的評価』の3題でした。どの題材もこの研究室らしい現場に即したもので、質疑も行われ、発表者・参加者ともに有意義な時間となりました。
後半は、新しく酪進会会員となる新卒業生の歓迎会が行われました。大学・短大の新卒業生からは各々卒業後の抱負や決意が発表され、OBからもそれぞれ近況報告や今後の抱負、新卒業生に対する励ましの言葉が述べられました。
今年度の卒業生からは、ほぼ全員が平成生まれです。OBの方とは親子ほどの年の差になる場合もあり、これからも幅広い世代が集う場として酪進会が開催されていくことを願ってやみません。毎年参加される方はもちろん、しばらくご無沙汰されている方、参加したことがない方も、来年の酪進会でお会いできることを楽しみにしております。
2月10日(金)18:00より新札幌シェラトンホテルにおいて、家畜飼料学同窓会・アジア酪農交流会が関係者約120名の出席者により開催された。当日は9:30より200名を超える聴衆の前で安宅一夫教授・名久井忠教授の最終講義が学内で行われた。また15:30よりアジア酪農交流会主催のセミナーが当ホテルで開催された。

安宅一夫・名久井忠先生を囲む会は、家畜飼料学同窓会・アジア酪農交流会による合同開催によるもので、それぞれに関係する学生、同窓生、教職員、教職員OB等にお集まりいただいた。

野教授の総合司会で開会し、原田勇学園長のご挨拶、井下同窓会副会長のご挨拶、細田顧問の乾杯のご発声で懇親会が開催された。
名久井教授、安宅教授から参会者への謝意のご挨拶を頂戴し、現役学生からは両教授に花束や記念品が贈られた。その後、アジア酪農交流会関連で内蒙古からの出席者や極東ロシアからの留学生の紹介等が行われ、国際色に包まれた和やかな祝賀会となった。
また、研究室恒例のオークションや参会者のOB紹介等も行われた。
小林副会長、市川研究科長のご挨拶、記念写真のあと、全員で円陣を組んで酪農讃歌を合唱し、閉会した。

2月10日(金)9:30~12:10 大学C1号館201教室において、名久井忠教授、宮川栄一教授、安宅一夫教授の最終講義が行われた。学生、教職員、卒業生等200名を超える関係者が集まり、名物教授の最終講義を熱心に拝聴した。

名久井教授は「酪農の跡継ぎ教育と現場密着型研究を振り返って」と題しての講義であった。本学短大を卒業後、40年の農林水産省試験場勤務を経て、2003年より母校に戻り、農場実習、研究室での卒論等学生指導に情熱を傾けて来られた歩みを丁寧に講義いただいた。本学の学生気質を「心がやさしく、テーマに対して熱心に取り組む情熱もあるが、調査が弱い」とのご指摘もいただいたが、指導した学生達から元気をいただき、酪農学園に心より感謝しているとの謝意が述べられた。

宮川教授は、「ルーメン細菌を把握しよう」と題しての講演であった。本学への赴任に至るまでの略歴を時間を割いてご説明いただいた。大学卒業後の農林水産省家畜衛生試験場(現動物衛生研究所)での研究内容のこと、ルーメン細菌に関する研究で学位を取得されたいきさつ。ルーメンの研究者として本学に1992年に採用された経緯等を述べられた。本学ではT-RFLP法をルーメン細菌叢に応用した研究を行い、「バクテロイデス属菌の化学的分類学的研究」「ルーメン細菌叢の解析法」について要点をご紹介いただいた。

安宅一夫教授は「酪農人への手紙 Ⅱ」と題した最終講義を行った。41年に及ぶ本学での職歴のスタートが帯広畜産大学の恩師大原久友先生の推薦による赴任のいきさつから今日に至るまでの教育歴、研究歴、エクステンション活動、国際交流等幅広くご紹介していただいた。特にサイレージの研究については、昨年畜産技術協会賞を受賞されている。酪農学園に愛され、多くの学生、友人、恩師に恵まれてきたことに感謝した。
最後に黒澤酉蔵の三愛精神は「真心」、ドラッカーのマネジメントは「真摯」、安宅一夫のポリシーは「鈍」という言葉を聴衆にメッセージとして送った。
(紙面の関係上、概略紹介となりましたので詳細は最終講義レジュメをご覧下さい)

2月3日(金)〜5日(日)の3日間、平成23年度日本獣医師会獣医学術学会年次大会が札幌コンベンションセンターで開催された。
この年次大会には全国各地から獣医師が参加するので、これを機に、酪農学園大学獣医学科 石狩支部同窓会開催が開催された。






パラグアイでも地域によって、幅があり手搾りの酪農家もあれば、パイプラインでの搾乳している方もいます。繁殖に関しても、人工授精も普及していますが、♂牛による繁殖も多いです。私が巡回させてもらった酪農家さんは小規模の方が多く、牛を数頭、豚、鶏も飼い、家庭菜園も作って、農家市を開催し、野菜・手作りチーズ、豚肉、卵の販売もしていました。新鮮なものばかりで、いつもたくさんの人が買いに来るそうです(私も購入して食べました、どれもおいしかったです)。

日本でも参考になるような、衛生的にし(牛舎も牛舎まわりも本当にきれい!)、管理の行き届いた酪農家さんもいました。小規模であっても、少しの改善で生産が伸びます。巡回して感じたことは、みな情報・アドバイスが欲しいと意欲的でした。お金をかけなくても、改善できる点はみられました。ペルペトゥオソコロ農協には農業技師もおり、オニョンディペパ農協も農業技師を入れるところでした。これらの農協はこれから伸びる地域であると感じました。
パラグアイの農協のすばらしいところは、教育委員会があるところです。前年度の利益の1割を教育委員会の予算とし、農家のために講習会をひらいたりします。
獣医師による人工授精の講習会をひらくことになり、私も時間をもらうことになっていました。定時授精するためのホルモン注射が出来ず、講習会の開催が延期になり、残念ながら私の任期の後になってしまいました。そこで、人工授精や管理について簡単な資料を作り置いてきました。
地球の裏側に、日本に近い国があると初めて知りました。南米には日本からの移住者がたくさんいます。パラグアイもそうです。移住地区が何箇所もあり、それらの農協の店舗は日本の食材が普通に並んでいます。パラグアイで醤油は数社で作られており、街角のスーパーに売られています。
パラグアイは昔から日本からの支援・援助がおこなわれており、日本に対し、日本人に対し、とても友好的です。
大学を卒業後、酪農実習、検定員、酪農ヘルパーをし、道東弟子屈町にて人工授精師として5年勤務しておりました。そしてボランティアに参加することが出来、南米の地を踏むことが出来ました。日本、パラグアイそれぞれの良さがあります。パラグアイの人たちのきらきらと生きている姿に感動しました。

